【フルマラソンの最も遅い記録は?】
どーも本庄です。
「超」飽き性の私のブログ83投稿目です。
今回のテーマは【フルマラソンの最も遅い記録は?】です。
2020年の東京オリンピックがまさかの延期になってしまい、今年楽しみにしていた本庄も残念で仕方ないです。
そこで今回はスポーツに関する豆知識を紹介していきます。
オリンピック競技の有名な種目としてフルマラソンがありますが、フルマラソンの世界記録って知っていますか?
なんとなく2時間数分ぐらいというのは皆さんもご存知だと思います。
正確には2018年9月16日に行われたベルリンマラソンで、2016年に金メダルを獲得した、エリウド・キプチョゲ(33=ケニア)が2時間1分39秒で世界記録を樹立しました。
このキプチョゲは、非公式ながらもフルマラソンで2時間を切るタイムを出しています。
しかし、これはランナーにとって有利な条件を色々取り揃えた結果なので、公式な記録として残らないものです。
世界記録は2時間1分39秒ですが、では世界一遅い記録は一体どれぐらいなのでしょうか?
『世界一遅いタイムは?』
普通であれば市民マラソンの制限時間は長くても7~8時間程度ですが、これより遅い記録があるのです。
その記録を樹立したのは金栗四三という日本人の人でした。
その気になるタイムはというと、
54年8ヵ月6日5時間32分20秒3
という記録が残っています。
その記録が樹立されたのは1967年でスウェーデンのオリンピック委員会がストックホルム開催55周年記念式典を開催することになり、当時の記録を調べたところオリンピック委員会が途中棄権をして疾走していたと言われていた金栗四三がじつは棄権したのではないと知り、金栗四三を招待してゴールさせることになりました。
招待を受けた金栗四三は競技場までゆっくり走りごーるしました。
その際、アナウンスでは「日本の金栗、ただいまゴールイン!タイムは54年8ヶ月5時間32分20秒3、これをもって第五回ストックホルムオリンピック大会の全日程を終了します」と、言いました。
金栗はゴール後「長い道のりでした。この間に孫が5人できました」と答えたそうです。(笑)
棄権をして疾走していたと思われていた金栗ですが、実際はレースの途中の日射病で倒れ近くの農家で解放されていたそうです。
気が付いたのは次の日でした。
当時はストックホルムに行くのに船と列車で20日もかかっていたそうです。
食事も日本食などはなく口に合わなかったようです。
さらに大会当日にバスが来なくて競技場まで走っていったそうです。
しかも、気温が40℃もあり参加者の68名の内半分の人が途中棄権をし、翌日に死亡者まで出たとんでもないレースだったようです。